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銃社会の発想

 アメリカでは犯人をその場で銃殺してしまうことが頻繁にある。
銃のない日本社会から見ればなぜ?と思ってしまう。

現場で射殺してしまったら事件の全容がつかめないではないか。
とりあえず捕まえて事情徴収するとかいう発想はないのだろうか。

たぶん無い・・・のだろうな。
 
犯人にはたぶん理念などありはしないし
とりあえず生かしておいたら、そのまま生かしておくしかない。
死刑を廃止している州も多いので
税金で一生養っていかなければいけない。
犯人が死ねばそれで一件落着。

 警察官に尋問の途中で殺されてしまう「一般市民」も多いと聞く。
これも先進国ではありえないと思ってしまうが
警官も自分の命が大切である。
銃を持っている可能性がある以上、心臓を狙わずに足を狙ったりしたら
返り撃ちにあってしまう可能性が大なのである。

 またも銃乱射事件が起きたけれど
これで銃規制派が増えるかと思ったらさにあらず
ますます「自分の身は自分で守ろう。」と銃を持つ人が増加しているという。

 彼らは言う。
銃が人を殺すのではない。
人が銃を使って殺すのである。
交通事故が多いからといって車を廃止すべきという意見が出ないのと同じである。
政府に我々の銃を奪う権利はない。
これがアメリカ合衆国の理念である。


 自由社会に生きるということはその代価もを払う責任も伴うということだ。
銃を持つ権利を国民が持つのであるのなら
射殺されるかもしれないという覚悟も持つべきなのである。

 警察官の前でポケットに手を入れたら射殺されても仕方がないという覚悟を。
町の中ではポケットに銃を持っている人が大勢いるのだから
誤射もたまにはあるという覚悟を。

 ・・・・日本人でよかったとつくづく思う。



by arizonaroom | 2017-11-15 23:09 | 異文化 | Comments(0)