2012年 03月 08日 ( 1 )

選択の余地

 「抗癌治療や放射線治療は父の選択だった」をいうことを
以前に書いたが、正確に言えばそうではない。

 医師が「このように治療しましよう。」と言ったから
素直に従ったまでのことなのだ。

 その治療法が父の望みだったかどうかは
今となっては知る由もないが
父に選択肢はなかったように思う。
医師に「その治療はやりたくない」というのは
なかなか勇気が入ることだからだ。

 そもそも日本の医療現場で
医師に選択を迫られるという場面は
どれくらいあるのだろうか。

 日本の医療現場では患者を1日でも長く生存させる治療が
最優先されていると思う。
呼吸が出来なくなったら呼吸器、
食べ物がのどを通らなくなったら胃ろうというように。

 さすがに最近は尊厳とかホスピス観念も出てきて
そうでもなくなったが。

 アメリカの身内が50代で癌に冒された時
医師から言われたことは
「抗癌治療をしなければ余命1年半
 抗癌治療をすれば余命2年」というものだった。

 どちらにしても本人にとっては残酷な宣告であるが
彼が選んだのは抗癌治療をしない選択だった。
そして、彼は医師の宣告通り、きっちり1年半後に亡くなった。
その期間、つらい抗癌治療はせず、
彼は家族と共に死への準備をしっかり行ったのだった。
葬儀では、3か月前に行ったスカイダイビングのビデオが
披露されたりもした。

 他のアメリカ人友人の話。
彼女の父親は80歳で癌が発見され
医師からは
「抗癌治療が成功すれば後5年は生きられる。
しなければ半年の命」と言われ
抗癌治療を始めたが
副作用があまりにもきつかったので
途中で中断することにした。

 その中断が意味するところを
本人も家族も十分に理解した上での決断である。
彼もやはり半年後に亡くなった。

 アメリカは
個人の意思を尊重する国だからということもあると思うが
選択させるということの一番の大きな理由は、
あり得ないくらいバカ高い医療費のせいなのではないかと思う。
医療は立派なビジネスなのだ。

 対して日本は、国民皆保険の国で、しかも治療も点数制である。
確かにお金のかかる治療はたくさんあるけれど
 「抗がん剤は○○万で手術をすると××万、放射線治療は△△万かかりますが
どうしましょう?」などと医師は言わないのが普通である。


 こうやって書きながら何が正解なのかよくわからなくなってしまった。

 唯一わかること、それは
私にはアメリカ式の宣告、医療ビジネスはやはり馴染めないということだ。

 最期まで「余命何か月」というような宣告はされなかった父は
厳しい現実はわかっていながらも
明日への希望は常に持ちながら
治療を受けていたのである。
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by arizonaroom | 2012-03-08 23:56 | 健康 | Comments(2)