カテゴリ:父の病気( 29 )

所得税とコンピューター

 2012年初めに亡くなった父宛に税務署から所得税納付書が届いた。
直ちに抗議の電話を入れたが、ずいぶん失礼なことだと思う。

 税務署には父の整理番号というものがあり
その番号での提出がなかったことを
コンピューターははじき出した結果
こういうことになったのだと推測するが
コンピュータ化したのであれば
市役所のパソコンと連携して、
死亡した人も簡単に抜き出せるようにするべきである。

 そもそも2012年度に私たちは
父の名前で「準確定申告」書を提出しているのである。
「準確定申告」なのだから、その時に処理しようと思えば
できたはず。

 なんなんですか。この中途半端なコンピューター化というのは。

 もっと言わせてもらえば、人がする限界をコンピューターが補い、
コンピュータの仕事の限界を人が補うというのが仕事の基本なのに
どちらもお互いに依存しあっているだけで
限界の隙間を埋める作業がまったくない。
 
 亡くなった家族の名前で来るお役所書類を見る遺族の気持ちを
本当に考えてほしいものである。
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by arizonaroom | 2014-05-29 23:52 | 父の病気 | Comments(0)

三回忌

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 父が亡くなって丸2年。
月日の経つのは本当に早い。

 でも、こうして親戚たちが集まれるのも
父のおかげ。
現在と過去が入り混じった楽しいひとときであった。

 
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by arizonaroom | 2014-01-19 22:21 | 父の病気 | Comments(0)

1年

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 父が亡くなって明日でちょうど1年。
月日の経つのは早い!

 とても寂しいけれど
こうして普段ご無沙汰している親戚たちと会えるのも
嬉しい。
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by arizonaroom | 2013-01-20 23:28 | 父の病気 | Comments(0)

家屋の相続登記

 今日、母と妹たちと法務局に出向き
書類を提出、
不備がなければ1週間後に完了となり
家屋は晴れて母の名義となる。

 提出した書類

  両親の戸籍謄本
  父の本籍地があった場所すべての戸籍謄本
  私達こどもたちそれぞれの戸籍謄本
  母と私たちすべての印鑑証明
  母の住民票(住民票は相続する人のみが必要)
  住居表示変更証明書(区役所で発行してくれる。)
  固定資産評価額証明書(平成24年度の資産税請求書)
 
 作成した書類
  登記申請書
  不動産の表示
  被相続人の相続関係
  遺産分割協議書

 これらの書類は、法務局に出向いて教えてもらったりネットで調べたりして
私が作成した。
 登録免許税の計算の仕方も教わった。

 司法書士代を節約でき私達は大満足である。

 
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by arizonaroom | 2012-06-28 21:39 | 父の病気 | Comments(4)

戸籍追跡

 戸籍法は平成7年に改正されたので
遺産相続のためにはそれ以前の戸籍謄本も必要である。

 何しろこの戸籍謄本には妻以外の相続人(子どもたち)の記載は
まったくないのだ。

 こうして母と私の「戸籍をさかのぼる」旅は始まった。
別に郵送でもよかったのだが
すべて東京23区内だし、
時間もあるので出向いてみようということになったのだ。
 
 
 まず中央区。
ここでは最後の謄本を450円で取り寄せたのに
平成17年に国が勝手に(!)改正したために
あらたに750円(除籍謄本・改製原戸籍謄本は750円)払い 
平成17年から戸籍地を変更した年までの謄本を申請する。

 そして
出生の時の戸籍謄本もここにあったことが判明した。

 出生場所は「東京市日本橋区」。

 戸籍筆頭者は私の祖父だ。
祖父は日本橋の住人だったのである。
 
 曽祖父の死亡で祖父が戸主になったとある。
昔の家長制度の頃なので結婚しても独立した戸籍にはなっておらず
そこには祖父の母も含まれていた。

 この戸籍に掲載されている人たち-達筆な字の役所の担当者も含めー
もう誰一人この世にはいない。
父の子どもの頃の写真を見たときと同じような
タイムマシンに乗ったような不思議な感覚に包まれる。

 でも感傷に浸っている暇はなく
次は文京区へ。

こちらは「東京市小石川区」。
父が主に育った土地だ。

 小石川区の後は練馬区。
私の両親の婚姻届を出しに行った祖父が
婚姻により独立した父の戸籍を
当時祖父が住んでいた地にして
登録してしまったのだ。
(両親の新婚の地ではない。)

 その後父は、住んではいなかったけれど
祖父の故郷の日本橋に本籍地を変更した時
「戸籍っていったいなんなんだろう」と
私は思ったものだった。

 ともあれ、これですべて完了だ。
全部東京でよかった。

 本日の手数料は3千円なり。
もちろんこの中に交通費は含まれず。
 

 帰りの電車の中でメールを打って妹たちに報告。

 間もなく妹から「私もそろそろ取った方がいいですか?」というメールが届き
私はとんでもないことに気が付いた。

 「私の謄本を取るのを忘れた!」

 父と同じ中央区だったのに!
さっきまでそこにいたのに!

 ガ~ン!

その後しばらく立ち直れなかった私であった。

 (実はまだ立ち直れていない。)
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by arizonaroom | 2012-06-20 20:39 | 父の病気 | Comments(4)

法務局

 不動産の名義変更手続きをネットで調べていたら
司法書士のサイトに行きついた。

 「個人でやると大変なので専門家にお任せを」と書いてある。

 しかし、その「大変な」内容を見てみると
確かに面倒くさそうではあるが
自分でも十分出来そうである。
高い手数料も節約したい・・・
ということで専門家の手を借りずにやってみることにした。

 まず、ネットで情報を収集し、質問事項をまとめてから
法務局出張所の相談窓口に母と行ってみた。

 他に来客は誰もおらず、そのおかげか
窓口の人はとても親切である。

 「ほう~、ずいぶん資料を集めましたね。」と
私のコピーの束を見て感心したようであるが
「この書類はお持ちですか?
ないなら差し上げましょう。
あ、それよりこちらの方が簡潔です。」と
とても丁寧に説明してくれる。

 何しろ、不動産の名義変更というのは
それぞれみんな内容も事情も違うので
所定の用紙というのはないのである。


 法務局に出向いたことによって
ネットを読んだだけでは
よくわからなかった箇所も
かなり理解できた(ような気がする)。

 難問は父の戸籍謄本をさかのぼって集めること。
先日取り寄せた謄本には生誕、結婚、死亡と
すべて漏れなく入っていると思っていたけれど
これではまったく不完全なのである。

 まず、ひとつ取り寄せて、そこから次(つまりその前)の戸籍謄本を
手繰り寄せていく。
すべて東京だからいいけれど、けっこう忍耐のいる作業である。

 今日の教訓 戸籍はやたらに変更すべきではない。

 まだ始めたばかり。
がんばらなくちゃ!
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by arizonaroom | 2012-06-13 22:03 | 父の病気 | Comments(2)

2度目の督促状

  固定資産税の督促状がまた来たと
母から連絡があった。

 おかしい!確か振込で払い込んだはず。
そして新しい振込先も提出したはず。

 妹にも確認してみる。
やはり払ったと思うと言っている。

 そうしたらまた母から電話があった。
振り込んだ時の領収書が出てきたのだという。
日付は3月半ば。
もう10日以上も前のことだ。

 本当に不愉快である。
電信振込というのは1日で届くのではなかったか。

 身内の死というものはつらいものである。
しかし、家族の長が亡くなった場合、
次から次へと手続きが待っていて
悲しみに打ちひしがれている暇など全くない。

 亡くなった人への対応は
他の理由で支払いが遅れている人への処理と
一線を画してもらいたいと思う。

 督促状ではなく、「お願い」とか。
手続きしたその日に切り替わるのは無理だとしても
現在は手続きの最中なのか、
それともまだされていないのか、
それくらいは把握しておいてほしい。

 1昨年頃、死んでいるのに死亡届が出ていない年寄たちがいることが問題になったが
もしかしたら、年金の不正受給だけが目的ではなかったのかもしれないと
ふと思った。
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by arizonaroom | 2012-03-31 23:26 | 父の病気 | Comments(0)

まだまだ手続き

 1月末に亡くなった父から母への名義書き換えは
もうすべて完了!したと思っていたのだが

 昨日また来た!クレジットカードの請求書が。
もちろんクレジットカードは2月初旬には廃止届を出している。

 請求の中身はプロバイダと解約した父の携帯電話である。

 プロバイダの名義変更をしたのは2月で
支払先を変更したのは3月だ。

 私達は父が亡くなってすぐプロバイダにその旨を連絡し
必要な書類を送ってもらっている。

 その時に、その変更書類が会社に届いてから
支払先変更をしてくださいと言っていたのに
「2月にカードから引き落とせませんでした。
支払先を3月20日までに指定しなければ
オンラインを止めます。」などと脅しの手紙を送ってきたりするのである。

 ともあれ、クレジット会社への支払いは2月は期日後すぐ
3月は期日前に母の名前で銀行送金し
プロバイダの支払い先変更も、今月初旬にオンラインで手続きした。


 そしてまた、解約済みのクレジットカード会社からの請求書である。

 オンラインで手続きしようが郵送で手続きしようが
名義変更には一定の時間がかかるらしい。
やれやれ、まだ電話で確認か・・・。

 先月、母はたくさんの督促状をもらった。
父の口座が凍結されたからだ。
すぐ凍結しなければ、父の年金が振り込まれてしまい
後で年金機構に返金するという面倒なことになってしまうのだ。
何しろ年金手続きは亀よりのろく、3か月もかかってしまうのだから。

 
 督促状。
なんというひどい響きなのだろう。
死亡届も、名義変更届も。支払先変更届もすぐに出しているのに。
手続きが速やかにできていないのも
名義変更係りと支払先係りの連携ができていないのも
遺族の責任ではないのに。

  私は何度も同じ説明を繰り返し
何度も自分の名前を言い続けなければならなかった。
カタカナ姓だから相手にすぐ理解してもらうのは至難の業だから
名前を名乗るのは面倒なのだ。
(ありふれた姓の妹になりすませばよかったとちょっと後悔。)

 国民総ナンバー制を導入するのは慎重にしなければならないと言われている。
政府がコントロールでき
プライバシーが簡単にさらけ出されてしまうので。

 それはわかっているのだけれど
ついつい思ってしまう。

 ひとつの場所に死亡、名義変更、支払先を届ければ
市民税、電力、ガス、NHK・・・すべての手続きが
一瞬にして終わってしまればどんなに楽だったろうと。
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by arizonaroom | 2012-03-29 22:22 | 父の病気 | Comments(2)

納骨

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 日暮里のホテルの14階からの風景。
 ビルの横にスカイタワーがかろうじて見える。


 今日は日本中、いや、世界中が祈りをささげた日である。
あの震災から1年。

 我が家では今日が父の納骨の日。
家族、親せきに見守られながら
谷中の先祖代々の墓地に父は埋められた。

 日暮里からの帰り道。
14時46分
 -私達日本人が今後絶対に忘れられない時間ーに
電車は1分だけ停止した。

 

 
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by arizonaroom | 2012-03-11 21:37 | 父の病気 | Comments(2)

選択の余地

 「抗癌治療や放射線治療は父の選択だった」をいうことを
以前に書いたが、正確に言えばそうではない。

 医師が「このように治療しましよう。」と言ったから
素直に従ったまでのことなのだ。

 その治療法が父の望みだったかどうかは
今となっては知る由もないが
父に選択肢はなかったように思う。
医師に「その治療はやりたくない」というのは
なかなか勇気が入ることだからだ。

 そもそも日本の医療現場で
医師に選択を迫られるという場面は
どれくらいあるのだろうか。

 日本の医療現場では患者を1日でも長く生存させる治療が
最優先されていると思う。
呼吸が出来なくなったら呼吸器、
食べ物がのどを通らなくなったら胃ろうというように。

 さすがに最近は尊厳とかホスピス観念も出てきて
そうでもなくなったが。

 アメリカの身内が50代で癌に冒された時
医師から言われたことは
「抗癌治療をしなければ余命1年半
 抗癌治療をすれば余命2年」というものだった。

 どちらにしても本人にとっては残酷な宣告であるが
彼が選んだのは抗癌治療をしない選択だった。
そして、彼は医師の宣告通り、きっちり1年半後に亡くなった。
その期間、つらい抗癌治療はせず、
彼は家族と共に死への準備をしっかり行ったのだった。
葬儀では、3か月前に行ったスカイダイビングのビデオが
披露されたりもした。

 他のアメリカ人友人の話。
彼女の父親は80歳で癌が発見され
医師からは
「抗癌治療が成功すれば後5年は生きられる。
しなければ半年の命」と言われ
抗癌治療を始めたが
副作用があまりにもきつかったので
途中で中断することにした。

 その中断が意味するところを
本人も家族も十分に理解した上での決断である。
彼もやはり半年後に亡くなった。

 アメリカは
個人の意思を尊重する国だからということもあると思うが
選択させるということの一番の大きな理由は、
あり得ないくらいバカ高い医療費のせいなのではないかと思う。
医療は立派なビジネスなのだ。

 対して日本は、国民皆保険の国で、しかも治療も点数制である。
確かにお金のかかる治療はたくさんあるけれど
 「抗がん剤は○○万で手術をすると××万、放射線治療は△△万かかりますが
どうしましょう?」などと医師は言わないのが普通である。


 こうやって書きながら何が正解なのかよくわからなくなってしまった。

 唯一わかること、それは
私にはアメリカ式の宣告、医療ビジネスはやはり馴染めないということだ。

 最期まで「余命何か月」というような宣告はされなかった父は
厳しい現実はわかっていながらも
明日への希望は常に持ちながら
治療を受けていたのである。
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by arizonaroom | 2012-03-08 23:56 | 父の病気 | Comments(2)