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最期の1週間

 葬儀が終わっても、
父がもうこの世に存在していないという事実が
まだ、なかなか実感として伝わってこない。

 今も実家にはいつものように一人でトランプをしている父が、
クロスワードパズルをしている父が
昼寝をしている父が
いるような気がしてならないのだ。

  しかし、そんな感覚とは別に
私の脳裏には父の最期の1週間が鮮明に焼き付いている。

 肺で呼吸が出来ずに苦しんだ父の姿。
父は「もういいよ」と言いながら酸素マスクを外しつつも
やはり生きようとしていた。

 命と死との壮絶な戦い。


 苦しみながらも、
父は動く方の左手足をなぜかよく動かしていた。
夜中にひらひらと、しなやかに動く左手。
そして時々、モニターに繋がれた薬指の赤いセンサーを
ジッと見つめているのだった。

 時々聞こえるうめき声。
その度に私は簡易ベッドから起き上がり「どうしたの?」と聞くのだが
たいていは手を横に振り
「なんでもない」というしぐさをするのである。

 私が初めて父の病室に泊まることを決心した日。
私が帰らないのを見て
父の唇は「泊まるのか?と動き
目は驚いたように見開かれた。

 同じ姿勢で寝ているのは苦しいので
看護師に何度も体を動かしてもらい
痰の吸引もしてもらった。
この痰の吸引は本当につらいのである。

 最初の頃はベッドのリモコンをしょっちゅう手に取っては
自分で上体を起こしたり下げたりしていたが
それもだんだんしなくなっていった。

 亡くなる1日前の朝、主治医の上司?が来て
「右手を挙げられますか?」と父に聞いた時
父は左手を挙げた。

 医師は脳出血で動かなくなった右手足を確認したかったのだけれど
父はたぶん医師が動く手を勘違いしたのだと思ったのだと思う。
その後、左足もしっかりあげて見せた。
「しっかり動きますよ。」とアピールしていたのである。

 昼に看護師が検温に来たときには、
もう昏睡状態が始まりかけていた。
しかし、 「意識が朦朧としているんです。」と私が技師に言った時
一瞬、父は顔を思い切り動かした。
「ちゃんと聞こえている」とのアピールだと思った。

 夕方になるともう、まったく反応がなくなった。
しかし母が声をかけると顔をくしゃくしゃにした。
それが精一杯だったのだ。
そして父の手は私の手をぎゅっと握りしめ続けている。

 *****

 私が病室に泊まり、見つめ続けてきた父の1週間。
それは元気だった頃の父の思い出を凌駕し
1日に何度もフラッシュバックしてくる。

 たった1週間の苦しみだったのに、
 もう父は苦しんでいないのに、
 私の中で、父の戦いはまだ続いている。

 その度に私は父の死を確認しなければならない。
父は亡くなったのだ。
全ては終わったのだ、と。

****

 私の心が、一日も早くこの呪縛から解放されますように。
そして父との楽しい思い出が泉のようにあふれ出るようになりますように。
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by arizonaroom | 2012-01-31 22:19 | 父の病気 | Comments(2)

今日のグレイス

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アーモンドチョコレートケーキ  &  チーズレモンタルト
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おしるこ
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 日陰には、まだまだ先週の雪が残っている東久留米ではあるけれど
暖かな日差しが部屋いっぱいに降り注いでいた今日のグレイス。

 それでもやはり透明な空気が肌にとても冷たく感じる。
そのせいか、それとも巷で流行っているインフルエンザのせいか
お客様の数はちょっと少ない。

 特にお子様連れの若いママさんの姿がまったく見えない。

 そんな中でもひときわお元気なのが
グループホームの女性たち。
今日はマッカーサーと京都の話で盛り上がった。

 「マッカーサー元帥、懐かしいわね~。」
「私は一度訪ねたことがあるのよ。」

「あの方はね」(と一人の女性を指さして)
「マッカーサー指令室で働いていたんですよ。」 

私「え?そうなんですか~?」

 「そうなの。私は働いていたの。
英語は全然わからなかったけれどね。」

 「英語は女学校で途中まで習っていたんだけどね
戦争が激しくなって
途中から勉強なんかできなくなったのよ。」

 昨日の出来事のように生き生きと話してくださる様子を拝見しながら
「ああ、父にもっといろいろな事を聞いておけばよかったな」と思う。
父は認知症とは全く無縁だったのに。


 
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 いつもご夫婦でいらっしゃるYご夫妻。
ケーキを注文されると
それぞれの友達のいるテーブルに分かれるのだが
今日は、どちらのご友人もいらっしゃらず
お二人で仲良くケーキを召し上がる結果となった。
「たまにはそれもいいわよね。」と奥様。


 今日はテーブルを片付けるのがちょっと遅れてしまい
「男手がないからね~。」と大声で言いながらテーブルを畳んでいたら
牧師が大慌てで牧師室から飛びだして手伝ってくれた。

 そういうつもりではなかったんだけど・・・・。
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by arizonaroom | 2012-01-30 15:29 | 喫茶室グレイス | Comments(4)

洋行

 父は1965年に90日間の海外視察旅行をしている。
渡航先はイギリス、イタリア、ドイツなどで
大勢の人たちが
羽田空港まで花束を持って見送り、出迎えをしている当時の写真を見るにつけ
洋行はとても栄誉のあることなのだったのなだと推測できる。

 今回、父の引き出しを整理していたら
予防注射の記録帳と携帯品・別送品の申告書が
とてもきれいな状態で出てきた。

 予防注射の記録帳は
英語と日本語併記のパスポートのようなものである。
たぶん摂取が義務付けられていて
各国に入国の際に見せなければいけなかったのであろう。

 興味深いのは税関の申告用紙である。

 申告用紙にはあらかじめ項目別に製品名が記入してある。
酒類、紙巻たばこ、香水、時計、革製品・・・これらはよくわかる。

 驚いたのは次の項目である。

 趣味・運動用具
 ・写真機 ・撮影機 ・猟銃 ・ゴルフ用具 ・ゴルフボール ・レコード

 食品
 ・コーヒー ・紅茶 ・ 砂糖 

 車輛
  自動車

 電気機器
 ・テレヴィジョン ・エアコンディショナー ・冷蔵庫 ・電気洗濯機 ・電気掃除機

雑品
 ・万年筆 ・ ライター ・ボールペン ・洋服地

 今なら外国で洗濯機や掃除機を買うなんてありえない。
だいたい電気洗濯機って電気じゃない洗濯機って何?
なんでも舶来品がよい時代だったのだ。


 そして、この頃は沖縄はアメリカに占領されていたので
申告品項目の中に 沖縄たばこやあわもりも含まれている。

 父は別送品で人形や洋服などを2箱送っている。
値段もきちんと丁寧な字で書かれており几帳面な性格がよくわかる。

 我が家は転勤族だったので何度も引っ越しを経験しているのだが
父はその度に、これらを持ち運んでいたのだ。

 この洋行で父はカルチャーショックなどという軽い言葉では形容できないくらいの
大きな衝撃を受けたのに違いない。
 
 八ミリフィルムでもたくさんの映像を残したのだけれど
残念ながらこちらは、湿気などですべてダメになってしまった。

 「俺がローマに行った時は・・」などと
大昔のことなのに、まるで昨日のことのようによく言っていた父を
私達家族は笑っていたものだったが
もう少し、いろいろな話をしっかり聞けばよかったなと
今はちょっと後悔している。

 
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by arizonaroom | 2012-01-29 21:18 | 父の病気 | Comments(2)

セカンドオピニオン

 2010年夏。
縦隔という珍しいところに腫瘍が発見された父。
治療法も確定されておらず
どの方法が最善なのか確信が持てないので
医療センターの主治医は、癌専門の病院に行って
セカンドオピニオンを取ってきてほしいという。

 セカンドオピニオンとしていくと保険は適用されないが
そのまま、その病院に罹れば
セカンドオピニオンではなくなるので保険が適用になる。

 主治医はそれでもいいというので
私達は、病院を変える心づもりもしながら医師が指定した病院に出向いた。

 ここで偉い部長先生から得られたオピニオンは以下の通りである。
(青色はすべて部長先生の言葉)

 医療センターから、いただいたカルテによると、
肝臓癌に特有の腫瘍マーカーが上昇しているので、
肝臓の癌が縦隔(じゅうかく)に転移したと考えるのが自然である。

  治療法としては
1、手術
2、TAプラス放射線
3、放射線
4ソラフェニブの投与

  があるが、当医院では4のソラフェニブの治療法の選択肢しかない。
これは、ここでの治療はそのように決められているため
部長の自分にも独断で変える権限は無い。

 ソラフェニブは単にがん細胞の活動を抑えるだけで
撲滅はできないため、
過去に8センチもの腫瘍を壊滅した
(父の)驚くべき(と言ったかどうかは忘れたが)
治癒体験や現在の元気さを考えると、
自分(部長)の意見としては、まず放射線治療
(局部への治療、他への影響排除という観点から)から始めたい。

そしてソラフェニチブ投与は先の方に取っておきたい。


 私「放射線は臓器が密集した場所なので難しいと言われたような気がするのですが。」

私は放射線の専門医ではないので
できるかどうかは私にはわからない。

でも先ほども述べたようにここは融通が利かず、なおかつ
急に悪化して入院となってもベッドの空きも保証の限りではない。

その点、医療センターは小回りが利くようだし、
患者さんそれぞれにあった治療を一緒に考えてくれそうだ。
入院に関しても同様である。


 私「つまり、おっしゃりたいことは、こちらでは治療方法の選択肢が無いので
幅広い治療ができ、なおかつ必要とあれば即入院できる
医療センターに戻った方がよいということですね。」

 あなたの言うとおり。そういうことです。理解力がいいですねえ。


こういう言い回しだったかどうかは忘れたが
内容はこんな感じで、私はおちょくられたような気がしたのは確かである。

 

母「もうひとつの専門の病院よりこちらを勧められたのですが・・。」

  確かにこちらの方が百倍も親切である。(ほんとかよ・・・)
あちらは「はい、うちでは無理」とけんもほろろに言われておしまいだったであろう。
(これもすべて部長のお言葉。)

 意気込んで行ったのに
なんだか拍子抜けしてしまうような結果であった。

 ちなみにセカンドオピニオンの代金は消費税込で31.500円である。

 結局、父は医療センターで
放射線や抗がん剤の治療を開始、
つらい副作用に耐える日々が始まったのである。

 詳しい内容を省いた当時のブログ記事はこちら。
 医者のタメ口


 
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by arizonaroom | 2012-01-28 21:45 | 父の病気 | Comments(2)

葬儀

 葬儀も無事に終わった。
お骨になった父を見て
やっぱり亡くなったんだということを
しみじみ実感した。

 家族の死は、めったに会わなくなった親族との再会を
もたらす。
そしてたくさんの思い出話が飛び交う。

 知らなかったエピソード。
忘れていた思い出。

 月日は流れに流れ、ひとところに留まることを知らない。

 今日のこの日もあっという間に過去の1ページとなってしまうのだろう。


 親族代表としての挨拶。
私は自分の言葉で語りたかったのだけど
葬儀屋さんに納棺にふさわしい言葉で話すようにとあらかじめ言われ
心ならずも
「残る一族一同にも個人同様のご厚情を心からお願いし・・・」
などと言わなければならなかった。

 葬儀の決まりごとの多さにはちょっとうんざり。

 
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 父が作りかけていたロボット。
目が光るところまではできていたが、
まだまだ先が長い。
家族会議の結果、高校生の甥が引き継ぐことになった。
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by arizonaroom | 2012-01-27 23:35 | 父の病気 | Comments(4)

再発

 肝臓癌が完治してからしばらく休眠していた癌細胞が
再び目覚めたのは2010年の春くらいである。

 腫瘍マーカーがみるみるうちに上昇し始めたのだ。
しかし、CTには何も映っていない。
どこにあるかわからない癌・・・。

 こんな状態なのにCT検査は3か月ごとなのである。

 次の3か月後の検査でも
結局何もわからず
医師はさらに3か月待とうとする。

 確かに若い人とは違って
高齢者の癌は成長がゆっくりなのかもしれないが
からだのどこかで確実に成長しているのがわかっているのに
また3か月何もせずに待てというのか。

 3か月後のCTの予約を入れようとする医師に
私は聞いた。
「3か月待たなければいけないんですか?
その間にも癌は成長しているんですよね。」

 医師は
「でもCTするたびに被曝してしまいますからね。」
と言いながら壁のポスターを見て
「そうだ!PETがある!」と叫んだのだった。

 ポジトロン断層法(ポジトロンだんそうほう、positron emission tomography;PET)は
腫瘍組織における糖代謝レベルの上昇を検出するのである。
ただちにPETの予約が入れられ
その月のうちに検査をすることができた。

 その結果
縦隔という非常に珍しい場所に癌があることがわかったのだった。
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by arizonaroom | 2012-01-26 23:24 | 父の病気 | Comments(4)

ピンポイント

 父は生命保険や医療保険というものが大嫌いだった。
当然、保険には長い間加入していなかった。
 
 よくわからないけれど、
簡易保険に加入したのは
定年退職後くらいだったのではないだろうか。

 だから、父が癌だとわかった時、
引き出しから外資系のがん保険の保険証書が
出てきた時はびっくりした。

 なんでがん保険???
こんなピンポイントの保険なんて
およそ父らしくない。

 後で、父に聞いて事情がわかった。

 定年後にすぐに勤めた会社で
癌の団体保険に
無理やり入らされたのだった。
結局この会社にはなじめなかったようで
1年くらいで辞めてしまったが
がん保険だけが残った。

 一度解約しようと代理店に出向いたのだが
説得され思い直し、払い続けることにしたのだという。

 実際、これは簡易保険よりずっとずっと優れものだった。
まず癌と宣告された時に一時金。
入院費はもちろん、退院の時にも一時金が出た。

 世の中、何が役に立つか本当にわからない。

 「ちゃらんぽらんに生きていても
何とかなるもんだなあ。」
と父は笑いながら言ったのであった。
 
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by arizonaroom | 2012-01-25 21:54 | 父の病気 | Comments(4)

始まり

 「こんなに長生きするとは思わなかったなあ。」
と父が何気なくつぶやいた5年前の秋のこと。

父が「血を吐いて救急車で運ばれた。」
という妹からの電話に驚き
私は急いで病院に駆け付けた。

 でもそれは単なる出血性胃潰瘍だということで
私達は心の底からホッとした。

 しかし、翌日とんでもないことがわかった。
C型肝炎に感染していたのだ。
驚いた医師が肝臓を検査したら
肝硬変と8センチの腫瘍が見つかったのだ。

 大きさから見て、昨日今日誕生した癌でないことは確かである。
そもそも注射針をガンガン使いまわされた世代。
後に血液製剤からの感染が明らかになった病院で
腎臓結石の手術もしている。
なぜ、今まで一度も肝炎の検査をしていなかったのか驚きである。

 父曰く「他人事だと思っていた。」

のんきな人である。

 ともあれ、医師は父に腫瘍を発見したことは伏せたまま
「造影剤を飲んでCTスキャンの検査をしましょう。」などと言ったものだから
父はそれを拒否してしまったのだ。
詳細は忘れてしまったが、
造影剤か何かの副作用について知識があったからだと思う。

 母からそのことを聞いて
病院に駆け付けた私は医師に言った。
「はっきり腫瘍があると本人に伝えてください。
そうしたら検査に同意すると思います。」

 
「本人に告知するのを避けたいご家族もいらっしゃいますから
気を使ったのですが、わかりました。
ではこれからは、ご家族にだけでなくご本人にも
病状を詳しく知らせましょう。」ということになった。

 その結果、父は検査に同意したのだった。

 *****

「肝臓がんは治らないんだよ。」

 このままこの病院に入院したまま治療を進めようかという話になった時に
父はそう言った。

 「とりあえず家に帰りたい。」

 一度退院した父は、その後がんが専門の病院に行くことになる。

「この大きさでは手術は無理」と父の新しい主治医は言った。

 ということは、やはり完治しないのか。
これで父の寿命は尽きるのか。
目の前が真っ暗になったけれど
結果は1回のカテーテルと数十回にも及ぶ放射線治療で
この大きな癌は見事に死滅した。

 その後、2年間は腫瘍マーカーも正常値を保ち
父の肝臓は極めて健康となった。


*****
 やり直しがきかないこの世の中で
「もし、あの時・・・・・だったら」と考えるのはあまり建設的ではない。

それでも私は思う。

 もし、もっと初期の頃にC型肝炎があることを知っていたら
癌の発症は防げていただろう。

反面
副作用があり、当時は保険も効かなかった
高額なインターフェロン治療で
父はもっと大変な思いをしていたかもしれない。

 
 もし、胃潰瘍で病院に運ばれなかったなら
癌の発見はもっと遅れていたであろう。

 反面、
これほど大きな癌が、転移もせず、悪さもせず
長い間、そこに存在していたのだから

 もしかしたら、ずっとこのまま静かなままで
父が寿命か何かで亡くなった時に
「あれ?こんなところに癌があったんだ。」
と医師が驚くということになったという可能性もあったかも。


 もちろん、こんなことを考えても仕方がないことではあるが。

 ともあれ、最後は 縦隔、肺、首へと癌は転移したけれど
肝臓は最期まで綺麗なままであったそうである。




 
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by arizonaroom | 2012-01-24 21:41 | 父の病気 | Comments(2)

1月23日のグレイス

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夏みかんのママレード紅茶のロールケーキ
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アプリコットケーキ  & 柚子シフォンケーキ
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 天気予報では午後から雨のはずだったが
朝からポツリポツリと降っている。
そしてとても寒い。

 こんな日でもホームからご来店くださるのは
健康な選抜隊の数名のみである。

 もちろん、他にも熱心なグレイスファンのお客様や
新しい方なども見え
楽しい憩の場となった。


 かくいう私も、皆から休みだと思われていたので
驚かれてしまったが
こういう悲しみの中にいる時こそ
グレイスの温かさが必要なのである。

 さあ、明日からまた頑張るぞー。


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by arizonaroom | 2012-01-23 16:43 | 喫茶室グレイス | Comments(2)

1月16日のグレイス

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プリンケーキ  &  りんごとサツマイモのケーキ
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りんごとさつまいもの焼タルト & フロランタン
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アップルパイ  &  ベクドチーズケーキ
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 この1週間いろいろありすぎて、どんな日だったか
すっかり忘れてしまった。

 
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by arizonaroom | 2012-01-23 16:29 | 喫茶室グレイス | Comments(0)