2020年に死去したアメリカの連邦最高判事ルース・ベイダー・キンズバーグの半生を描いた映画である。
この映画は2018年作なのでこの時にはまだルースは存命である。
1956年。夫のマーティンが在籍するハーバードのロースクールに進学したルース。この時はすでに一児の母である。
まだまだ女性の地位が低かったこの時代、ロースクールに在籍する女性はわずか数人で
学長でさえ、偏見の塊だ。「男性を押しのけてまでも入ってきた理由を話してくれ。」などと平気で言う始末。
他の学生も「何でここに女がいるの?」という顔をしている。
教室で精鋭を放っていても教授にも相手にされず、主席で卒業してもどこの法律事務所も雇ってくれない。
やむを得ず大学で教鞭をとることに。
そんな中、夫のマーティンはすごい。
彼は彼女の才能を高く評価していて彼女のキャリア磨きへの協力を惜しまない。
「仕事はしてもいいけど家の中のこともきちんとしてね。」などとは間違っても思わない。
家事も育児も全く平等だ。
誰も女性差別を女性差別だと思っていなかった時代にこんな柔軟な発想を持つ男性がいたということ自体驚きである。
序盤、院生の彼が生存率5パーセントの癌にかかってしまったとき
「これは夫に先立たれた女性が奮起する話かしら」と早合点してしまったが
彼は奇跡的に回復しその後も長い人生を共に歩むことになるのである。
弁護士としてのキャリアを積めないルースであるが
独身であるがゆえに母親の介護のための税控除を受けられなかった男性の弁護を引き受けることを思いつく。
いわゆる逆差別裁判。これを突破口に女性差別の裁判を次から次へと興せるのではと。
誰が見ても勝てない裁判。国も黙ってはいない。
長い闘いの幕開けである。
途中、そういう時代は来ていないのだと落胆するルース。
でも野次を飛ばす男性に毅然とした態度でやり返す娘を見て気づくのだ。
娘は新しい時代を生きている。
もう時代は変わっているのだと。
私たちは先人たちの努力のおかげで今を生きているのだとつくづく思わせてくれる映画である。
余談ではあるがリベラルのルース判事が亡くなった時
当時のトランプ大統領はすぐ保守派の判事を任命したことで
すでに真っ二つに分かれていたアメリカ全土が大騒ぎになったことは記憶に新しい。
21世紀になった今もまだまだ様々な偏見と差別がある。
日本でも医大の入試で女子が差別されていたことが発覚しているし。
そして私たち自身の意識の中にもまだまだ差別が存在していることをこの映画は気ずかせてくれるのである。