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かば

 うちの英語スクールの幼児や子どもたちは
皆例外なく、かば、hippopotamusという単語が大好きである。
過去記事はこちら

 実は私は週に一度、
インターナショナルのバイブルスタディのクラスで
プリスクールの子どもたちのクラスを担当している。

 そこでのアクティビティのひとつに「How Did You Get There」という
生き物の真似をして歩くというものがあり
馬になったり鳥になったりカエルになったりするのである。

 先日その遊びで、様々な動物を「経験」した後
「次は何の生き物にする?」と聞いてみたところ
アメリカ人の女の子から
「hippopotamus!」という声が!

 かば?かばって物まねして面白い?
というか、かばってどうやって歩けばかばになる?

 もしかしたら、かばになりたかったのではなく
ただ単にhippopotamusと叫んでみたかっただけかも。

 hippopotamusの発音は
日本人の子どもにも、アメリカ人の子どもにも
ツボにはまるのかもしれないなあ。
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by arizonaroom | 2014-10-07 20:43 | 英語&日本語&スクール | Comments(0)

うなじのこわい民

 主はまた、モーゼに仰せられた。
「わたしはこの民を見た。
これは、実にうなじのこわい民だ。」
   (新改訳 旧約聖書 出エジプト記 32章9節)


 旧約聖書にはよく、この「うなじのこわい民」という言葉が出てくる。
この耳に聞きなれないことば「うなじにこわい民」って何?と
聖書を初めて読んだ人は絶対に思う。

 聖書の日本語訳にはいろいろあり、この語句を使っているのは
新改訳聖書である。
調べてみたら共同訳と現代語訳は「かたくな」、
口語訳は「強情な」であった。

 つまり、「うなじのこわい」というのは「強情」という意味なのだとわかる。

 「うなじのこわい」というもともとの原語はヘブル語の
牛がくびきをかけられるのを嫌って抵抗する状態を表した形容詞である。
それが転じて当時でも
「首がこわばる」、「強情」、「頑固」、「手に負えない」という意味で
使われていたということである。


 そう、こわいは「怖い」や「恐い」ではなくて「強(こわ)い」だったのだ。

 古代のイスラエル人だけに理解できる「うなじのこわい」という語句を
全然文化の違う日本で
使う意味はいったい何なのだろう。

 たとえば英語には「chicken feed」というイデオムがある。
直訳は「鶏の餌」だが、
実際の意味は「はした金」つまり「すずめの涙」である。
だからこの語句は「鶏の餌」ではなく「すずめの涙」と
訳されなければいけない。

反対に、
「sparrow's tears」などと英訳しても誰もわからない。

 そう、「うなじのこわい民」は「強情な民」と訳すのが
適切なのだ。

 でも、この聖書を頻繁に開いていると
けっこうこの「うなじのこわい」という表現にも馴染んでくる。
「強情な」という表現はすぐ忘れてしまいがちだが
「うなじのこわい」は心に残る。

 私たち人類は何度も同じ過ちを繰り返す「うなじのこわい」民なのだから。

 ちなみにこの箇所の英語での訳はstiff-necked。
文字通り「肩が張った」と「強情な」の二通りの意味で
普通に使われているイデオムである。

聖書にまつわる過去の記事
翻訳聖書のミステリー
コリアンダー
哀悼
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by arizonaroom | 2013-01-30 21:44 | クリスチャンライフ | Comments(0)

翻訳聖書のミステリー

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 昨日、英語で聖書の勉強をしていて大発見をしてしまった。
日本語と英語の訳があっていない箇所があったのだ。
  (注:世界中の聖書にはそれぞれの文章に
   共通の番号が振ってあり
   何章の何節というのは万国共通である。)
   

 マタイ21章
 (29節) 《日本語》 兄は答えて「行きます。お父さん」
                 と言ったが行かなかった。     
  《英語 》  "I will not,"he answered,
            but later he changed mind and went.
 
 (30節) 《日本語》 (省略)・・・
              ところが弟は答えて「行きたくありません」と言ったが
              あとから悪かったと思って出かけて行った。   
  《英語》  he answered,
              "I will,Sir," but he did not go.
 
 (31節)  《日本語》 「ふたりのうちどちらが、
           父の願った通りにしたのでしょう。」
              (英語は同じなので省略)
       
        《日本語》  彼らは言った。「あとの者です。」
        《英語》  " The first," they answered

 兄と弟がすっかり入れ替わっているのだ!
 
  ちなみにこの日本語版は「新改訳」という
 プロテスタントの福音派が主に使用しているものだ。
 
  他の訳はどうなのかと思い、
 カトリックとプロテスタントが共同で訳した
 「新共同訳」はどうかと見てみたら
 これは英語版と同じであった。
 しかし、「現代語訳」(これはかなり個性的)は
 「新改訳」と一緒で英語とは逆である。
 
 つまりはたとえ日本人同士でも
それぞれ違う訳をベースにしていては
話が通じないということになってしまう。

 英語版も NIV、Good News、King Jamesなどいろいろあるが
すべて兄が「行かない」と答えたが実際は行ったとなっている。

 実は日本語の聖書は英語からではなく
旧約はへブル語から、新約はギリシャ語からの翻訳である。

 単純に焼くを間違えたとか、わざと変えたなどとは
とうてい思えないので、ちょっとネットで調べてみたら
どうやらギリシャ原本には2種類あって
それぞれ違う原本を使ったようなのである。
信じられないことであるが。

 この「二人の息子」のたとえ話は
兄と弟の言動が逆なだけで
教訓話としてはまったく同じなので
差支えないといえば差支えないのだが
なんだかすごい発見をしてしまったような気がしてちょっと興奮。

 聖書は英語も日本語もいろいろ読み比べてみると
実にに面白い。
 イスラエルの大学で聖書を勉強した知人は
「へブル語で旧約聖書を読むと本当によくわかる」と言っていた。
 
 今度はへブル語とギリシャ語を勉強しようかしら・・・
 なんて絶対無理だよな~。
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by arizonaroom | 2008-03-19 22:27 | クリスチャンライフ | Comments(2)

哀悼

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       葬儀の後に立ち寄った石神井公園。
       遺族の悲しみなど知る由もなく
       公園の生き物たちは今日も静かに生を謳歌する。

 空(くう)の空。伝道者は言う。
空の空。すべては空。
日の下で、どんなに労苦しても、
それが人に何の益になろう。

 一つの時代は去り、次の時代が来る。
しかし、地はいつまでも変わらない。
日は上り、日は沈み、
またもとの上る所に帰っていく。
風は南に吹き、巡って北に吹く。
しかし、その巡る道に風は帰る。

 (中略)

 すべてのことはものうい。
人は語ることさえできない。
 
 (中略)

 昔あったものは、これからもあり、
昔起こったことは、これからも起こる。
日の下に新しいものは一つもない。

 (中略)

 私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、
なんと、すべてがむなしいことよ。
風を追うようなものだ。
 
 (後略)

        ー旧約聖書・伝道者の書 1章より抜粋(新改訳)ー
 
 

 求めなさい。そうすれば与えられます。
 探しなさい。そうすれば見つかります。
 たたきなさい。そうすれば開かれます。

        ーマタイ 7章7節ー

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。

       -マタイ 11章28節



 
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by arizonaroom | 2007-11-22 23:17 | クリスチャンライフ | Comments(2)