青山散策
青山ビルで開催されたサマンサタバサの
株主優待ファミリーセールに行ってきた。
その後はアンカシェット青山でランチである。
メニューは平日1時からのランチコース。
玉ねぎのスープ
豚フィレ肉のグリル グリーンマスタードソース
もしくは
イサキのポワレ バルサミコソース
パンもお替り自由
デザートの盛り合わせも嬉しい
最近は親娘4人で出かけたり食事をしたりすることが多い私たちである。
その後は青山をぶらぶらと歩く。
私たちは、その昔、表参道から徒歩3分の
庭の広い、1軒家の社宅に5年間住んでいたのである。
(注:「社宅」です!おじょうさんではありません、)
当時高校生と大学生だった年子の妹と私は
地元に同級生はいなかったけれど
中学生だった末の妹は違った。
歩きながらその妹が言う。
「ここ、同級生の家」
「ここもそうだと思う。」
母も
「あのお店に知り合いがいるから声をかけてくるわ。」
妹の通っていた区立中学は青山ツインビルの隣である。
「ここ(ツインビル)で同級生たちとよく
ドロケイ遊びをやったわ。」
ドロケイとは泥棒・警察官の略である。
5人が泥棒、5人が警察官になって
ビルの中を駆け回る、一種のかくれんぼと鬼ごっこの合体のようなものだ。
都会の子どもはこんなところを遊び場にしていたのである。
(今は知らん。)
「学校の帰りに(ツインビルの中の)津川雅彦の店の
あたりをうろうろしていたら
3時のワイドショーに映っちゃったりしたんだよね。」
彼女の同級生には有名な女優(当時は子役)もいたし
俳優の子どもたちもいた。
私の青山の思い出と言えば
朝、学校に行くため、表参道の駅に向かって歩いていると
「あなたも朝帰りですか?」などと
ナンパされたりとか
合コンなどで男子学生が
「おれ、原宿に住んでいるんだ。あはは、うっそ~」とジョークを言った後
「ところで君はどこに住んでいるの?」と聞かれ
答えに詰まったりとかその程度である。
あれから、青山もずいぶん変わった。
私たちが住んでいたあたりもまったく面影が無い。
私がバイトをしていた原宿のブティックも、
仲良くしていたおじさん(変な意味ではない)が所有していたビルも
行きつけの美容院も、
レッスンに通っていたギター教室も
もう何もない。
無理もない。
ここを歩いている大半の若者たちが生まれる前のことなのだから。
その後は母たちと別れ、私は表参道の美容院へ。
予約の時間までまだ少し間があったので
昔はなかったスタバでカフェラテを飲みながら、
すっかり変わってしまったかつての「私の町」を
ひとりで眺めていたのだった。
by arizonaroom | 2013-05-11 23:10 | ショップ&レストラン | Comments(2)
うらやましいです。
ブティックで、アルバイトこれもおしゃれですね。
どんな大学生だったのか知りたいです。
青山に住んでいるわりにはあか抜けていなかったので
あまり吹聴したりはしていませんでしたよ。原宿のブティックもよく雇ってくれたものです。ごくふつーの学生でした。