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確固たる“I”

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真ん中のYちゃんは3歳になったばかりなので
幼稚園は来年。違うクラスの生徒だが、
今月のみ、このクラスに参加

 

 2歳になってすぐ英語を習い始めたSくんとNちゃんも
もうこの4月から幼稚園児。
思えば最初はまだ赤ちゃんに毛が生えたような感じだったのに
もう立派なお兄ちゃんとおねえちゃんである。

 ふたりとも最初の子なので、
幼稚園は大きなカルチャーショックであろう。
通い始めの頃は大変だろうが、でもふたりとも大丈夫、
すぐ慣れるに違いない。
そのうちSくんは大きなお兄ちゃんのいる子に倣って
自分のこと「オレ」なんて言い出して
親をびっくりさせるかもしれない。

 これで思い出したのは
日本というのは「I」という言葉が
本当に確定していない国であるということだ。
例えば成人した男性。
同僚と話す時は「オレ」
上司、あるいは仕事先の人と話す時は「私」
子どもと話す時は「おとうさん」
ちょっと気取って話したい時は「僕」。
相手によってこんなにも1人称の呼び名が変わってしまうのだ。

 
 よく小さい子が自分のことを「○○ちゃん」と呼ぶが
これは、ただ単に周りが彼らをそう呼ぶからだけではない。
子どもの周囲の大人たちも自分のことを
「お父さんはね」とか「おばちゃんはね」、「先生はね」と、
言うからである。
誰も小さい子に向かって「私はね」と言う人はいないのだ。

 実はこれは他人の子に対しては大変不便なことである。
私はうちの小さな生徒たちに向かって
自分をどう呼んでいいかよくわからない。
子どもたちの方は「ETSUKOさん」とか「ETSUKO先生」と呼んでくれ
誰も「おばちゃん」とは言わないのは幸いであるが
(正真正銘のおばちゃんなのに気を使っているなあ。
 もしかしたら親によく言い含められている?)
自分で「ETSUKOさん」とはちょっと恥ずかしい。


 アメリカの子も常に名前で呼ばれてはいるが
自分のことは必ず「I]と言う。
周囲の大人が、しっかり「I」を
使っているのを聞いているからだ。

 英米の「I」はどこまでいっても「I]。
日本語は文法的に主語が省けるということもあるが
それだけではないように思う。
個人主義の国と集団主義の国との差かもしれない。
 
 日本の子どもたちはある日突然気がつく。
「そうか、自分で自分の名前を主語に
使うのはこどもっぽいんだ。」
初めて自分を客観的にみた瞬間である。

 そして次の脱皮のステージは両親の呼称。
特に男の子は恥ずかしくて「パパ」「ママ」と呼べなくなる。
だからといって今更「お母さん」というのも照れくさい、
ということで「ちょっと」とか「ねえ」とか
名前を呼ばずに済まそうと苦労し、
つまならないところに
エネルギーを使ってしまう高校生。
お疲れ様。

 夫にこの話をしてみた。
「最初はママで、そのうちお母さん、そしてお袋という風に
変わるのよ。」
「オフクロ?なんかOWLみたい。」
「それはふ・く・ろ・う」
 失礼しました~。

 
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「これは何だ?」
お兄ちゃんの出席カードをチェックしている赤ちゃん

by arizonaroom | 2007-04-06 22:49 | 英語&日本語&スクール | Comments(2)

Commented by 花ケーキ at 2007-04-07 20:27 x
arizonaさんは本当に鋭いです。自分をどのように表現するか、何と難しい言語なのでしょうね。日本語恐るべし。
お兄ちゃんのカードをチェックしている赤ちゃんは可愛いですね。
ここに映っているキルトは、arizonaさんのお手製ですか?
Commented by arizonaroom at 2007-04-07 20:37
花ケーキさん
いえいえ、そんな鋭いなんて~。
ただ理屈っぽいだけです。
でも言語を掘り下げると
面白い発見がたくさんあるます。

 このキルトは昔ベッドカバーに使用していたもので手製ではありません。
今は幼稚園前の小さな子どものクラスがある時に
敷いています。