2007年 06月 01日 ( 1 )

翻訳

 最近、アメリカの作家の本を読んだ。
キリスト教のバックグランドのある質のよい小説なのだが
翻訳調の日本語が非常に気になってしまった。
いかにも英語を訳しましたという文体なのである。

 翻訳家はけっこう大変だと思う。
語学の才能はもちろん、
母国語の才能も豊かでなければならないのだから。

 でも一般読者はどうなのだろう。
この翻訳調の文章が好きという人も
けっこういるのかもしれない。
それに、これを全くの日本語調にしてしまったら
原作のよさも失われてしまうのかも。
ストーリーさえわかればよいというものではないのだから。

 「源氏物語」を英訳したアーサー.ウェイリーという人は
すごいとつくづく思う。
何しろほとんどの文は主語無し。
それどころか途中で視点が
突然何の前触れもなく源氏から紫の上に変わったりと
ややこしいことこの上ない。
 また、私の記憶が正しければ
この物語には誰の本名も出ていないのである。
(名前のように見えるものは
 便宜上付いたあだ名である。)
どんなものか彼の英訳をぜひ読んでみたいと思っている。

 翻訳で思い出した。
数年前、外国の大学院に進む知人に
彼のエッセーとともに
教授の推薦文の英訳を頼まれたことがある。
まず私が下訳し、次に夫がそれを格調高く(?)仕上げる。
推薦文は2通あった。
それをざっと読み、さっそく英訳に取り掛かった。
なるべく直訳ではなく自然な英語に仕上げるよう努力した、
といえば聞こえがよいが
実は複雑な文章を直訳するほどの力がないので
意味を変えない程度にシンプル化してしまった、
というところが本音。
どうせ後で夫が上手に直してくれるだろうし。

 2枚目の推薦文に入ったところでハタっと気がついた。
内容が全く同じ!
日本語を見ている時には全く気がつかなかったが
英語にしてみたら瓜二つなのである。

 さっそく依頼者に電話した。
「あの推薦文のことなんですけど。」
「はいなんでしょう?」
「あれ、同じ人が書いたんですよねえ?」
電話の向こうでしばし沈黙。そして
「やっぱり、わかりました?」

 実はやはり教授である彼の父親が
忙しい同僚に代わって書き
サインだけしてもらったものと判明。
推薦文は1通で充分なのだから
同じ内容のものを2通出すのもまずいということで
一方を破棄することにしたが
文体を変え、前後を変え
他人が書いたように装ったのに
シンプルな英語にしたらばれてしまったという
面白い逸話である。

 ちなみに彼はめでたくこの大学から入学許可をもらい
数年前に無事卒業、今も海外で活躍中である。
[PR]

by arizonaroom | 2007-06-01 22:15 | 英語&日本語&スクール | Comments(0)